内省

2023.02.17

苦難と転機

ここ数年間、本当に大変だった。体調を崩し、認知症の両親と不自由な姉の世話に追われて、自分のことなんて考える暇もなかった。仕事にも影響が出て、顧客に迷惑をかけてしまった。反省とプロとしての誇りが傷ついて、正直辛かった。

今は違う。役職や仕事、資産を整理して、やっとやりたいことができる環境を作った。お金をより増やすことにコミットしている。他人に理解されなくてもいい。これが今の私のやりたいことだ。

自己発見

不思議なもので、私は投資でも、クリエイティブな仕事でも、割とうまくこなせる。これは他人の仕事を軽視しているわけじゃない。本当にプロレベルの成果が必要なことって、意外と少ないんじゃないかって気づいたのだ。

実際、よく考えてみると、多くの仕事は極端な専門性よりも、これまでの経験と常識的な判断力で十分こなせることが多い。だからこそ、自分の経験を信じ、正直に生きることが大切だと思う。そうすることで、結果的に周りの人にも良い影響を与えられる。

ただし、この考えは一見、身勝手な驕りに聞こえるかもしれない。この考えに基づき行動する際は、しっかりと責任を持つ必要がある。つまり、自分の判断と行動に自信を持ちつつ、その結果にも責任を取る覚悟を持つということだ。

そうやって、自分の個性を大切にしながら、周りにも配慮して生きていく。それこそが、私が目指す「個性としての美しさ」だ。

表層

どれほど緻密なアドバイスを提供しても、その本質が顧客に届かない。むしろ、職業プログラマーや怪しげなコンサルタントの説明の方が「わかりやすい」と受け取られる。そりゃそうだ、本来複雑なビジネス設計を過度に単純化するから、素人にも伝わる表現に落ち着くのだ。

考えてみてほしい。例えば量子力学をいくら「わかりやすく」伝え、一般人が理解したつもりになったとしても、それは往々にして誤った解釈だ。この例えのように間違った内容でビジネスに適用して、本当に業績を伸ばせるだろうか?こんな単純な論理すら理解できない知能の人間が多すぎるのが現状だ。専門知識の安易な簡略化が招く危険性を認識せず、表面的な「わかりやすさ」に惑わされる風潮。これこそが、今日のIT業界が直面している本質的な問題であり、私の苦悩の根源だ。

確かに、低予算ゆえにコミュニケーションを省略せざるを得ない状況も一因だと認識している。しかし、はっきり言って、限られたリソースで完璧な成果を出すのは物理的に不可能だ。たとえそれが顧客にとって大金であったとしても、プロジェクトの規模や複雑さに見合わない場合がある。

このような歪なパワーバランスは、日本のIT業界やプログラミング分野において依然として軽視されている。デジタルリテラシーの欠如は、もはや個人の問題を超えて、産業全体の発展を阻害する要因となっている。正直なところ、この状況に対する私の忍耐は限界に達している。

プロの価値

誤解されたくないが、私は非専門家たる顧客に対して、高度な技術的理解は要求しない。そんなの非現実的だし不適切だ。でも、プロとして実務に従事する者たちの専門性と経験に対しては、それなりの敬意を払うべきだと思う。

ビジネスの成功は、単に金銭的投資や聞こえの良い詐欺めいたプレゼンのみで獲得できない。私が提供し得るのは、最優先されるべき安全性の担保だと強く言いたい。この責務を全うするため、時として顧客の表面的な信用を失う覚悟も必要だ。私のこの苦悩と決意を軽視せず、理解を示してくれれば、この仕事はいくらか楽になるんだけど、それが難しいのが現実。

真の豊かさ

つまり、今の評価至上主義と極端な資本主義社会は、こういう深い相互理解を許してくれない。

ここで、この状況が本当に正しいのかどうか、一度立ち止まって考えてみてほしい。これが本当に私たちの望む豊かさか、理想とする美しい世界なのか。

私は今、技術と倫理、効率と安全性、短期的利益と長期的価値の狭間で悩んでいる。この複雑な問題の解決には、顧客とプロフェッショナルの双方が、お互いの立場を尊重し、深い対話を重ねる必要がある。そうすることで初めて、本当の意味での持続可能な発展と、みんなにとっての価値創造が可能になると思う。

この難しい課題に立ち向かう勇気と知恵を、私たちは一緒に育てていかなきゃならない。

私が求めているのは、表面的な礼儀じゃなくて、専門家の意見や助言を軽く見ずに、その価値をちゃんと評価する態度だ。プロの知見って、長年の経験と深い洞察から生まれるものだから、それを軽く扱うと、プロジェクトの質と成果を大きく損なう可能性がある。

つまり、顧客と専門家の間には、お互いの理解と尊重に基づく建設的な関係が不可欠で、このバランスが取れてこそ、本当に価値ある成果が生まれる。

この考えは、単なる個人的な不満じゃなくて、業界全体の健全な発展を願う者としての切実な思い。技術と創造性がちゃんと評価され、専門家の意見が尊重され、詐欺師のような職業プログラマーや職業コンサルティングが疑われる環境こそが、本当の革新と進歩を生み出すと信じている。

でも、これも一種の虚像かもしれない。SNSの中で作られた「理想」や「正解」。現実はもっと複雑で、もっとグレーだ。

偶然の出会い

私が思うに、本当の価値や美しさって、計画して見つけるものじゃない。日々の生活の中で、ふと出会うものだ。自然の美しさかもしれないし、思わぬ人との出会いかもしれない。

都会のキラキラも、数十年経てば変わってしまう。でも、自然や深い思考、人との本当の繋がりは長く残る。だから私は、時間も金も全部使って、そういう本質的なものに触れたい。

もちろん、私だって完璧じゃない。偏見だってある。だからこそ、自分の弱さと向き合おうとしてる。

同時に、「寛容な諦め」も持ってる。これは他人を攻撃しないためだ。自分の弱さに気づいたとき、それを他人のせいにしたくなる。でも、それは危険だ。世の中を混乱させるのは、そういう考え方だ。

私が選んだのは、自分の弱さを認めつつ、他人を責めない道。これが一番難しい。自分と向き合いつつ、他人も受け入れる。すごく難しいけど、これこそが本当の「強さ」なんじゃないかって思う。

虚像と実像

結局、私たちは虚像と実像の間で生きている。完全に正直に生きるのも難しいし、建前だけで生きるのも辛い。その中でバランスを取りながら、少しずつ自分の本質に近づいていく。

理解されなくてもいい。これが今の私のやりたいことだし、私にしかできないことだ。こうやって考えたり悩んだりしながら、日々を過ごしていく。

虚像

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