幻想

2025.02.21

まず、これは批判ではない。
そして誰か固有の人物や、私の顧客に限った話ではない。
世の中の”顧客”側にいる人に向けての、私なりの”愛情表現”である。

えてして顧客は幻想を依頼する。彼らの頭の中には、「こうあってほしい」という実態のないイメージが浮かんでいて、それを現実世界に投影してほしいと切望してくる。私は、およそ、その要求を可能な範囲で具現化する役目を担うのであろう。しかし、悲しいことに、幻想や浅知識に囚われた顧客は、やがて自分が生み出した幻想の中に溺れていく、とまでは言わないが、彷徨い歩くのだ。

私はこれまで、ビジネスの根幹となる思想や美意識を大切にし、クライアントとwin-winの関係を構築することが、真の成功だと信じてきた。しかし現実には、多くの“幻想”に翻弄される顧客が、ネット上、SNSの流行やインフルエンサーの派手なアピールやcanvaでの制作物、そして誰でも使える画像や写真のライブラリーに目を奪われ、「これらをうまく取り入れれば成功できる」と信じ込んでいる。彼らは基礎的な知識や本質を理解することなく、ただの“形”だけを欲しがるのだ。
結果として、その一時的な感動が去れば、残るのは何の芯もない空虚なアカウントだけになってしまうはずだ。一時の感動に満足してしまっている時点で、彼らは幻想から抜け出す意志を失っている。

本当に悲しい。
なぜなら、依頼された時点で、彼らの“幻想”を完全否定できない関係となってしまうからだ。これは私の勇気の問題ではない。忖度でもない。ほとんどの顧客は金銭授受によって、後戻りのできない根源的な立場を上げてくるのだ。私はお客様を神様などと1mmも思わない。適正報酬の上で同並列で共に切磋琢磨すべきだと考えている。しかしながら現実には99%のお客様はお客”様”になってしまうのである。

私のところに依頼が来る以上、できる限りの力を注いで“要望”を形にする。だが、問題なのはその要望の底が浅いことにある。彼らの望むのは、急場しのぎの最適化や、ただ格好のいい外観、一瞬の流行に乗るための表面的な演出であって、ビジネスを長期的に成長させる基盤や、コードや設計のバックグラウンド技術を最重要に考えることではなく、独自の価値観を確立することでもない。肝心なところを軽視し、必要なステップを踏まず、ただ不十分な知識で「このデザインがいい(素人)」「こうすればいいと動画で言っていた」「感覚的にこうすればイケる」と強引に押し通す。それは私たちから見れば、どれだけ虚ろで危なっかしいものか、一目瞭然なのだが、彼らの謎めいた自信に押し込まれ、最終的に指摘や忠告を諦めることになり非常に残念だ。繰り返しになるが一目瞭然である。透けて見えている。

デザインにしても同じだ。基礎的な美意識や理論もなく、「こんな感じがいい」と子どものお絵描きのようにアイデアを出されても、それをそのまま実装すれば二流、いや、三流以下の仕事になってしまう。それでも彼らは、“自分が思い描いた幻想”を強行に反映してほしいと望む。私は、そのリクエストを執拗に退けるわけにはいかないし、その努力をしても大概は聞く耳を持たない、後の結果は言うまでもなく悲惨だ。そうした仕上がりを誇らしげに掲げる顧客を見るたびに、「いつか幻想から目覚めるのだろうか」と複雑な思いに駆られる。

そもそも、私が提示するアイデアやデザインは、本質的に長い目で見たときの価値を第一に考えている。目先のトレンドなど、数年、いや、数ヶ月もすれば移ろいゆく波に過ぎない。大きな波の本質や根底にある価値観を踏まえてこそ、ビジネスやクリエイションは本当の意味での成長を遂げる。しかし、幻想に囚われた顧客は、この長期的ビジョンを理解できず、短期的な刺激や満足を追いかける。短期的な要望を増やし、そのせいで様々な私の時間を消費していることに気づかないし、その行為が無料サービスのように考えているのだ。貧弱であればあるほど予算の関係で下書きで進めなければならないデザインを完成品だと考えたり、早とちりで批判したりもする。デザインの裏に動作性UI/UXなど理解しているはずもない。挙句の果てにプロとして数十年やってきている者に向かって「デザインのプロじゃない」などと、デザインをしてきたこともなく、道端のおしゃれレベルの感覚で批判する。誰が誰にほにゃらら。そうして、また次の幻想を追い求めては、顧客的な浅知識をさらけ出してしまう。

私自身、仕事である以上、依頼をこなすことはやぶさかではない。だが、浅はかな幻想の具現化を繰り返すうちに、こちらの心が磨り減っていくのを感じていた。まるで、沈む船に綺麗なペンキを塗っているかのような行為に思えてならない。船底に大きな穴が開いているのに、その修繕を真剣に考えようとしない。ペンキをどんなに美しく塗ったところで、船はいつか沈む。これは親の介護よりも、パソコンに向かうハードワークの何よりも苦痛だが、彼らは知る由もないだろう。

このようなすべての顧客に対して、私は今はっきり言いたい。目指すべきゴールがただの幻想のままなら、あなたはその幻の中でいつまでも踊り続ける。プロに求めるのは、単なる手足の労働力ではなく、経験に基づく知恵と本質を見極める眼のはずだ。そこに意識が向かないのなら、私たちの手でいくら幻想を美しく飾り立てても、あなた自身が成長することはない。むしろ深みのない作品やビジネスを量産し、他人からの評価も得られず、結果的に自分の価値すら下げてしまうことになる。
それがわからないのなら、今、別の何かに取り組んでいたとしても同じことだろう。

それなら、あなたは一生誰かの下で働き、その現実以上の自己肯定をしないでほしい。従業員は従業員で限りなく立派な人間で、8割以上の人間が生きる美しい道だ。だけども、私の生きる経営者、技術者の道ではないことをはっきりと理解してほしい。

真の意味での成功とは、幻想を現実へ昇華し、その先のビジョンを確固たるものにしていくこと。その過程で、時には自分の考え方や知識の足りなさを認め、学び直す勇気が必要になる。プロの領域に委ねるべき部分は委ね、適切なフィードバックを受け入れられる柔軟性がなければ、幻想だけが膨れ上がる。また同じ轍を踏む顧客を、私は何度も見てきた。

結局のところ、「幻想」を引き受け、形にするのは私たちプロの仕事であり役割でもある。だが、幻想から抜け出そうとする意志がクライアント側にない限り、どんなに素晴らしいデザインやシステムを提供したところで、それは長続きしない空虚な飾りに終わるだろう。幻想と現実の境界線を見極める力を養い、浅知識に振り回されるのではなく、基礎や本質を理解しようとする姿勢こそが、大きな成功のための第一歩なのだ。

私はどれだけ報酬を得たとしても、このような顧客との付き合いは赤字なのだ。

あなたは実際にプログラミングやデザインで稼ぎ、その技術が大手に求められている人をどれだけ知っているだろうか?そして、そのような知人がいるとしても、その人の実績は本当だろうか?誰かの下での実績や、猿のようなコンサルタントではないのか?また、エンジニアなら1日でBeta版を作成してしまうようなサービスに耳を傾けていないだろうか?はたまた、これらすべてを本当は判断さえできないのではないのか?自分自身に問うてほしい。

今も付き合いのある顧客や、私の事業関係者はこれを理解し、そしてこの大AI時代を上手に生きているし、これからもそれは変わらないだろう。

私はこの厳しさを戒めとして、今後は忖度なく生きていく。

虚像

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