装飾

2024.09.06


個性という装飾

いつの日か、ミニマルなスタイルが世間の標準になり、逆説的にシンプルさが飾っていると見えるようになって久しく、近年、私の中でくすぶり続けている違和感だ。

およそ10年前、仕事道具や趣味のものが沢山あふれかえる中、私は「ぼくたちに、もうモノは必要ない 」を2016頃に読み、また「100日間のシンプルライフ」を2018年頃に観てから、ミニマリズムに従って時間を過ごして来た。ミニマリズムは私の心を動かし、ライフスタイル全体に影響を及ぼした。

考えてみれば、ずっとそれ以前から、プログラマーとして、無駄のない効率的なコードの美しさを追求していた。これは一つの美学だった。また、学生時代からApple製品や西堀晋さんのシンプルなデザインに魅了されていた。

しかし、近頃(というか、ここ15年くらいか?)はミニマルデザインも時代に良いように解釈された「装飾」になりつつある。「飾らない」美学は、他者から見れば立派な自己表現になっている。

つまり、時代が解釈する”装飾”という定義を、見た目だけではなく、自分の軸で、自分なりに再定義し直す必要がある。流行や他者の評価に左右されるずにいたいものだ。

私にとっての「装飾」とは何か。それは、自分の内面に正直に生きること。好きなものを大切にし、それを恥じることなく表現することだ。

考えてみれば、プログラミングだって無駄を削ぎ落とすことだけが美しさではない。時には、一見無駄に見えるコメントや、冗長に思える処理が、可読性を高めたり、新たなライブラリに繋がる。それは、「装飾」と同じではないか。

自分に正直に、恥じることなく幸せに生きるためには、何処かで流行を抑えているスタイリッシュな人間になどなってはいけない。これは重要だ。流行を追いかけることも、流行を避けることも、結局は他者の価値観に振り回されているに過ぎないからだ。

真に自分らしく生きることは、そういった外部の基準から自由になること。自分の内なる声に耳を傾け、それに従って行動すること。それこそが、本当の意味での「美しい個性」ではないだろうか。

これについて反論を思いついているのなら、それがいい訳でないか自問して欲しい。

私の好きはファスト アンド スローというベストセラー本の著者で、ノーベル経済学賞受賞者でもあるダニエル・カーネマンの言葉を借りれば、これは「システム2」的な思考だ。つまり熟慮し、自己を見つめ直し、そして意識的に選択すること。容易ではないが、それこそが真の自由、自分らしく生きることへの道筋だと考えている。

人生はいつ終わるかわからないし、若くしてボケてしまうかもしれない。しかし、そう長くはない有限な時間も自分次第で無限に豊かにできる。これからは、「シンプル」か「装飾的」かという二元論から脱却し、自分なりに整った美学を追求していこう。

その結果として、自分の「装飾」を恐れず、かといってそれに縛られもしない。そんなバランスの取れた生き方を目指していく。それが、中年の私が見出した新たな人生の指針だ。
いつも日か、自分の価値観を問い直し、自分らしさという最高の「装飾」を身につけていけるはずだ。​​​​​​​​​​​​​​​​

虚像

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