虚像
2021.07.20
疑問
十数年間、Webクリエイターという括りで、Webシステム開発・Webプログラミング・Webデザイン・サーバー構築・写真撮影を請け負い生計を立ててきた。
独立した時には考えられない程の誰でも知ってる企業のホームページをひとりで構築したり、数え切れない程のWebサイトを制作してWebクリエイターとしての人生には正直もうお腹いっぱい満足している。
Web制作事業に飽きたのかと自問した時期もあったが、それはなんか違う。
鏡像
仕事以外ではChatBotを作ったり、AI系ハッカソンで準優勝したり、ブロックチェーンで遊んだり、ARやXRを割と真面目に勉強したりしている。
例えばドローン操縦認定を取得したり、仕事で役に立ちそうなことや、話の種になるようなことは割とアクティブに取り組んでいる。
こう書いていると、それなりに意識が高く上手くいっているクリエイターのように捉えることもできるが、この稚拙な文章に表れている通り、私自身は決して優秀ではない。
これまでの実績や現状は、実物なのか、平面鏡が生す鏡像か、それが織り成す虚像のように感じられて仕方がない。
お金
トレーダー・投資家としての活動も同じくらい頑張っている。
正直、お金に関してはクリエイターとしての活動よりも投資に重きを置いている。
Webクリエイターとしての収入は、頑張ればある程度の夢はあるかもしれないが、人生を変えるほど稼げるWebクリエイターなどほんの一握りだ、というかほとんど居ない。
クリエイター其々に多様なスキルを持ち合わせていたり、スキルレベルに違いはあるものの、収入の大小は企画力と営業力で決まるからスキル云々では一切測れない。
金銭的に満足出来るレベルに達するには、誰でも知ってる企業のホームページをワンストップで請け負っても届かない壁がある。
こうなるとWebクリエイターが稼ぐ金額なんて夢がない。
ちゃんとやっていれば食いっぱぐれないスキルは身につくが、Webクリエイターなんて日雇い労働者と何ら変わらない現実がある。
報酬に見合うかどうかで精神衛生を保てる仕事ではないのかもしれない。
どこかの誰かが決めた市場価格に寄り添って、誰かが決めた枠組みの中での競争。
お金は本当に大切、お金は魔法、お金は現代社会で愛を支える燃料。
誰しも愛に満ちて暮らしていきたいものだ。
市場意識に振り回されず、納得できる仕事に取り組むべきだ。
結果的に人の役に立てる人間に成長できると思っている。
我慢
なんとなく最新機器HoloLens 2を買ってみたり、十数年前に楽しんでいたDTMをなんとなく再開したいなぁと思ったり、同じく大好きだったイラストもなんとなく楽しみたいなと考えるようになってきた。
長年の趣味であるギターも、自分の好むジャンルの奏法であれば自惚れするくらいは上手になった。
何を弾いても楽しめるが、悪く言えば惰性、習慣でしか無い同じ時間のループに嵌っているのかも知れない。
新しい刺激・喜びを求めているのか、長尺のループか、これまた子供の頃に挫折したピアノを上手に弾けるようになりたいなぁとも考えている。
考えているというよりは、本当はずっと前からやりたかった事ばかりだ。
仕事が忙しく、時間と心に余裕のない日々の中で、目の前の報酬の為に好きなことを我慢できる人間になってしまった。
逆算
ひょんなことから人生の逆算botを開発した。
簡単なプログラム、任意の年齢までの残日通知だ。
来年まであと何日、目標達成まであと何日、その時何歳になっているか通知される。
この数行のプログラムが応答した数字に、人生が変わるくらいの衝撃を受けた。
どんな自己啓発本を読んでも、人生に疲れて自分と向き合っても、ClubHouseでキラキラした人たちの話を聞いても感じたことのない
「稲妻が落ちるような衝撃」
に打たれた。
よく言うやつ。
自分には残された時間は少ない、別に大病を患ったわけでもないし、死が迫るほど歳を頂いているわけでもないが、自分が遠いと思っていた年齢は、肌感覚よりもずっと近くに訪れるようだ。
正直、驚愕だった。
ケツに火がつくとか言うけど、多分そんな感じ。
もっと人の役に立ちたいし、身近な人をもっと喜ばせたい。
妻をもっともっと幸せにしたい。
ちょうどTVerでフットボールアワーの後藤さんが「生まれ変わるなら今の人生で」とか言ってたな。
数字の衝撃で、世界が変わった。
何が効率化かつ効果的なのかなんて分からない。
でも分析するべきだし、とにかく動きながら考えようとおもう。
自分の為に働き、自分の為に生きる事。
私の場合、利他の心もこれが下地になる。
虚像
このブログは適度に続けられたらと考えている。
正直、どう扱えば良いのか分からないけど。
使ってないギターを魔改造したり、趣味の写真を掲載したり、そんなどうでもいい事の宣言・報告から使っていこうかと考えている。
文章が稚拙とか恥ずかしがらずに気ままに、誰かに読まれなくていい、寧ろ読まないでほしい、自分だけの場所にしたい。
でも歳を重ね、何かを達成しているかもしれないのに、何も得ていないような虚無感に苛まれる人の場所になると嬉しいかもしれない。
倫理観を養い、多様な人に寄り添える人間になりたい。
目の前にある自分自身の虚像と、他者目線の私の虚像を受け入れ、愛し、時には決別して上手く扱う必要がありそうだ。